本日は学生時代の恩師・退職祝い | struo-stationery

今日は久しぶりに学生時代の集まりがあります。恩師の退職祝いで歴代のゼミ生をはじめ、同級生全般が集まる会になります。いつの間にそんなに時間が経ったのだろうと思うばかりですが、個人的に本当にお世話になったと思える恩師です。ちょっと先に気付けるアドバイスをする芸当は真似できるものではありません(先導知)。
出会った時の恩師40代で今は70歳。その時20代前半だった自分は40代半ば。ちょっとしたディスカッションを意味のある時間に感じさせる人は、そう多くはいませんでした。恩師に会った人生と会わなかった人生では確実に歩み方が変わったでしょう。卒業後に自走出来る様にしてくれたんですね。1年時には100人程度を前に"皆何になっても良い"と言われた通り、就いた職業には無数のバリエーションが生まれたのでした。
struo-stationeryの構想も無関係ではありません。"一気に見せすぎている"という助言を紐解いて遂行したのですから。何となく気付いていても実行に移すか否かは歴然とした違いがありますし、人のコトバや状況を受けて人が変わるというのは意外と難しいもの。身体や意識が重くのしかかるんですね。
WEB上ではやり尽くされた様に思えても、実はまだ手付かずの領域が無数にあります。意識しなければ何十年経ってもカウントされず、目的地に辿り着けません。その残酷さを認めるには、今やっている活動の手を緩めたり、貴重だと思っている売り上げを捨てたり、商品の大半を倉庫に入れなければいけない。要は犠牲が必要ですから、それは大抵の場合において難しいと思います。また、物語として一から組み立てつつ、調査し、補い続けなければいけない。逆に一つの成功体験が、大きな変革に繋がる可能性を秘めています。
今の活動の源流を辿ると"構想力"という言葉を授けた恩師がいる様に思います。