シンプルという切り口 | Struo-break
概念としての"シンプル"の起源を探るうちに、手元のデザイン関連の書物で読み飛ばしていた項目があることを思い出す。それは"デザインの発生"や文脈の事なのだが、どこか他人事の様で、興味がなかったせいか、頭に入ってこなかった。
いろいろ遠回りしているうちに、今なら良く理解できるのでは?と考えた。自分なりの切り口を設定し、説明可能なのではないかと思い至る。巨視的なことは、具体的な経験なくして、頭で理解しても結局は意味がないのだと思う。
デザインの発生は、産業革命で大量生産を行う技術的な基盤が出来たことが引き金となる。社会全体を機械性が牽引していく中で、機械という生産手段を得た会社組織が、経済合理性を追究する中、人間の精神が阻害されていくのは想像に容易い。つまり機械性を取り入れることで、人間を機械の様に見立てたり、人間の存在そのものを機械に置き換えていく中、手から乖離していく製品の質が問題になった。ここで、感応器官としての手が意識される。
手のぬくもりという要素は数値化しづらい、独特なものだから、共感し難い粗悪な機械生産の品物が氾濫するという事態に対して、イギリスでウイリアム・モリスとジョン・ラスキンの二人が手仕事回帰の理想を元に始めたアーツ&クラフト運動がデザインの発端となる。様々な属性があることは承知しているが、配役を中心に考えを進める。
これはどことなく現代でも繰り返される、手仕事ブームを思い起こす。私は世に出た時から、デザイナーという肩書ではなかったから、こういった巨視的な情報の正確性というのは、自分に必要な部分だけ認識すれば良くて、ある程度事実に即してあれば良いと思っている。大まかに要素間の関係を整理しておき、全体の構造に着目するからこそ、類推的に使える情報として機能するのだと信じている。
ところで、当時なぜこの二人を中心に、手仕事へ回帰すべきと考えたのかと思えば、その前時代に、強力な権力者が支援する中で生まれた、装飾性の強いバロックやロココ時代があり、その時代の様に、好きなだけ時間をかけて、作者の手の痕跡を残す様なモノ作りの精神というのが見直されるべきなんじゃないかという、機械生産に対するフラストレーションが爆発したのだと思う。それは、一種の揺り戻し作用だったとも言える。
当時は、世界の片隅で起きた出来事なり個人の思想が、一瞬で世界中に伝播するはずもなく、ローカルで勃発した動きが時間をかけてグローバリズムの流れにのり、少しずつ各国に伝播していく。情報の移動手段や効率よくお金を稼ぐ企業形態などのインフラは出来上がっていた。こうした過程において、アーツ&クラフツ運動やデザインの諸運動(ダダ、デ・スティル、アールヌーボー、ロシア・アバンギャルド等)が展開され、日本では民芸運動などに繋がっていく。
ここでグローバリズムとローカリズムの対立軸が想起される。ローカリズムは、複雑で曖昧で、独自性をはらんだ、その土地の文脈に照らし合わせて起きる現象なのだ。
要するに、手を使って造形の本質を捉えようと試行錯誤を繰り返し、そのどれもが決定打にはならなかった。造形の要素分解が行われず、芸術やプロダクトの領域の中だけで、掲げるべき理想の答えを探りあてようとしたからではないのだろうか。機械生産が可能になった現実の社会から、必然と要請されてるモノ作りは何かという視点が欠けていた。当然ながら、手の感覚を駆使して作る装飾性の高い芸術的な作品の様なプロダクトは、確かに人間の心を癒し、感動させる力があるが、量産が効かず、たくさんの人がその価値の恩恵にあやかるわけではないからだ。手仕事回帰という方向性だけでは、スッキリとした精神性の解決をみなかった。
それに、高価なモノになるのが前提だと、庶民の生活の質には関わりがなくなってしまう。そうしたジレンマが絶えず存在する事になる。ここで、「庶民の生活の質を洗練されたものに変える」というテーマが現れる。
モノ作りは、手をかければかけるほど、仕事に緻密さや密度が生まれ、人の感性に訴える良さげなモノにはなる。これは分かる。だが、時間を費やすほど、結局は売価に跳ね返るしかない。良いものを創りたいと思い、手間暇かけて作るものが、必要以上に安く売るという愚行に走らない限り、高く売るものにならざるを得ない。これも個人的には経験している事象だ。
産業革命により、社会が機械生産にシフトしても、庶民は自由を謳歌する事はなく、モノを通して、もしくは仕事を通して人間は幸せが実感しづらかった。であれば、こんなはずではなかったという集団心理を覆す様な手段を考えなくてはならない。
手段と目的を取り違えてはいけないという空気感の中、ドイツでは「バウハウス」という芸術総合教育機関が勃興する。つまり、社会を変えるための遺伝子を育む英才教育の意図があったのだろう。当時の社会の要請を一身に引き受けるかのように、建築をはじめとする、あらゆる芸術分野のプロが講師として集まり、造形のプロセスは徹底的に要素に解体され、分かりやすく若者に伝授されていく。西洋的な、全体を要素に分解して理解していく思想が教育面で機能した。
バウハウスは、それまで、魔術的と思われていた造形や芸術の在り方を、教育の機会を通して一変させた。職人と講師が交互に教鞭を取り、座学と実技を通して、多面的かつ論理的に考察していく。
ここで大事なのは、既に社会で活躍していた教師陣(グロピウス・ナギ・イッテン・カンディンスキー・クレー・シュレンマー等)の多彩な志向性を反映する様に、意匠設計を行う人間として持つべき思想や哲学、すなわち芸術(建築や都市計画、工芸、広告等含む)に対する"総合的な能力"を身に着けさせるカリキュラムが組まれていた事。また、機械生産、大量生産という前提が肯定された上で、社会に対して仕掛けていくという姿勢が基本とされていたことが挙げられる。
また、産業分野を細分化して専門化していくことと、デザイナーという職能を専門的な仕事として成立させていくこと、この二つを両輪にすれば、経済が発展する流れに貢献できる都合が生じたことが見逃せない。社会において、小さな単位へと特異な領域が細分化されていれば、より多くの専門デザイナーが生まれる契機がある。デザイナーというポストはある時まではなかったのが、大量生産に関わる製品の設計者として擁立された。つまり、たくさんの人間の「生活の質」を向上させる社会的な役割を持った人として、認識され始めるわけだ。ここで、「生活」というキーワードは重みをもつ事になる。
デザイナーという今日当たり前の様に聞く職業は、こうした背景の中から生じた現象だ。経済を急速に発展させていくために、企業にとって都合の良い存在だったとも言える。広告コミュニケーションをはじめ、環境に求められるからこそ、能力も更に研鑚され、企業にとって欠かせない役割としてのデザイナーが確立していく。
シンプルという概念は、徹頭徹尾、西洋由来のもので、西洋の中で完結している。すなわち、手仕事の良さと、機械生産の利点を掛け合わせて得られる果実を実らせるために、弁証法的なプロセスを経て生まれたイノベーティブな方法だった。シンプルな意匠設計であれば、量産が効きやすく、人々の生活を豊かにする洗練されたモノが大量に作れるというわけだ。つまり、不可能を可能にするアイデアだった。合理性や機械性を重んじる、モダニズムという流れの中で、タウトなどの西洋の著名人が日本を訪れ、桂離宮などに美しさを感じたというのは、後付けの話で、シンプルの成立とは関係がない。量産可能性を設計思想に取り込んでく。そのために無駄をそぎ落としていくことが要請されたのだ。クラフトに関わるものは、経験済みであろう。
ここで明らかになることは、機械生産によって大量生産するか、手仕事によって量産をするかという生産手段の違いは、シンプルという概念にとっては本質ではないということ。シンプルに根差した意匠設計であれば、量産が出来る可能性が生まれ、たくさんの人の生活を洗練されたものに出来る機会が担保されやすくなる。
シンプルで思い出すのは、デビュー当時、商品を取り扱ってくださった店舗で、シンプルを軸に商品の紹介文を考えてくれて、実際に販売して頂いたことを思い出す。売り方とかまだあまり綿密に考えていなかった当時で、WEB上でのパーソナリティも寡黙過ぎる当時、自分では全く説明文を書けずにいた。書こうと思っても全然書けない。その中で、商品の属性を"シンプル"と評されたことが記憶に残っている。自分自身では、そう見せようと思ったわけではない。身体に染みついた様な感覚だと思っていた。
概念としてのシンプルを求めて本を読んだ記憶はないし、演習があった記憶もない。基本的な感覚だから、あーそう見えてるんだなぐらいの自覚なのだが、何となく日本社会に浮遊している様なこの概念が何処から来たのか、不思議に思っていた。
・・・・・・・・・【スッキリ構成案】・・・・・・・・・・
概念としての「シンプル」の起源を探るうちに、手元のデザイン関連書で読み飛ばしていた項目があったことを思い出した。それは「デザインの発生」やその文脈についての記述なのだが、当時はどこか他人事に思えて記憶に残っていなかった。しかし、様々な遠回りをしてきた今なら、自分なりの切り口で深く理解し、説明できるのではないかと思い至った。巨視的な知識も、具体的な経験なしに頭で理解するだけでは意味をなさないのだと思う。
デザインの発生は、産業革命によって大量生産の技術的基盤ができたことが引き金となった。社会全体を機械性が牽引し、企業が経済合理性を追究する中で、人間の精神が置き去りにされていくのは想像に難くない。製品から手仕事のぬくもりが失われ、粗悪な機械生産品が氾濫したことへのアンチテーゼとして、イギリスでウィリアム・モリスとジョン・ラスキンが手仕事回帰の運動(アーツ&クラフツ運動)を始めた。これがデザイン史の始まりである。
この流れは、現代でも繰り返される「手仕事ブーム」を思い起こさせる。当時は、莫大な権力者の支援によって生まれたバロックやロココのように、時間をかけて手痕を残すものづくりの精神が見直されるべきだという、機械生産に対するストレスが一気に爆発したのだろう。一種の揺り戻し作用だったとも言える。
その後、このローカルな動きは時間をかけてグローバリズムの波に乗り、各国の諸運動を経て日本の民芸運動などへも繋がっていく。手仕事的な造形の本質を捉えようと試行錯誤が繰り返されたが、高価になりがちな手仕事は庶民の生活の質を直接引き上げる決定打にはなりにくく、ジレンマを抱え続けることとなった。
手をかければかけるほど密度が生まれ、感性に訴える良いものができる。だが、費やした時間は当然売価に跳ね返る。妥当な価格で売る限り、高価にならざるを得ないのは私自身も経験してきたことだ。
こうした背景のもと、ドイツで生まれたのが「バウハウス」だ。バウハウスは、機械生産や大量生産を前提として肯定した上で、合理的に社会へ働きかける道を選んだ。造形プロセスを要素に分解し、専門的な「デザイナー」という職能を確立していくことで、経済発展と「多くの人々の生活の質の向上」を両立させようとしたのだ。
つまり、「シンプル」という概念は西洋のモダニズムの中で完結した合理的な知恵である。シンプルな意匠設計であれば量産が効き、人々の生活を豊かにする洗練された品を届けることができる。無駄を削ぎ落とす必要があったのは、量産可能性を設計思想に組み込むためだったのだ。
デビュー当時、取引先の店舗が自社商品を「シンプル」と評して紹介文を書いてくれたことを思い出している。当時の私は言葉で説明できずにいたが、自分では意図していなかったその「シンプル」という属性は、思えば西洋由来の文脈から巡り巡って身に染みついていたものだったのかもしれない。