スモール・イズ・ビューティフル | Struo-break

1973年の本とは思えない"スモール・イズ・ビューティフル・人間中心の経済学(E・F・シューマッハー)"の中で、教育の項に以下の様な記述を見つける。要約してみると、人間は"観念"を使って考えるのだから、起きる現象に対してどう意味づけるのかはそれぞれの観念に委ねられる。これもアブダクションですね。

①「世界をいかに体験し解釈するかは、・・・・我々の精神の中にある観念の質に著しく左右される。その観念が貧しく、力弱く、上滑りでまとまりがないとその人の生も生彩を欠き、魅力もなく、卑小で混乱したものになるだろう。」

②「精神が・・・"観念"を世の中の出来事に当てはめることができないとすると、世の中は精神にとって一つの混沌、つまりバラバラの現象や意味のない出来事の寄せ集めとして現れるほかない」

③「そのような精神をもった人間は、いってみれば地図を持たずに道しるべや案内図もなく文明のかけらも見当たらぬ異国を行く旅人に似ている。何事も彼には無意味で、生き生きとした関心を呼び起こさない。ものごとを解く鍵がないのである。」

選挙前でどの党の誰の言説を信じるかという議論が盛んですが、この先、困難な事態に見舞われた時にでも浮かび上がる自らの"観念"の質こそが大事だと思いますね。そのためには複眼的な思考を磨き続ける他ありません。何しろ、道具としての観念がなければ、地図を持たない旅人になってしまうのですから。
自分の15年くらいを振り返ってもそうですが、最初からがっちり正解を選んでいなくてもいいと思います。その時持っている観念で、投票という手段で意思表示をしたいですね。