神話の編集(1) | Struo-break

(1) "いまのいま"あらゆる成長のためのスイッチを押して押しまくりたい"という新首相の演説、説得力がありますね。私はいま、「アマテラスの誕生」という岩波新書に出会い、古事記や日本書紀などの日本創世神話、すなわち"神話"の構造の理解にはまっています。千の顔を持つ英雄(ジョーゼフ・キャンベル:早川文庫)も気になるところ。個人的に情報を受けた時にスッと入ってくる時とそうでない時があって、神話の構造が"いまのいま"良い感触です。(しろのなかのしのなかの.......コンクリート・ポエトリを思い出しますね。)

正直、古事記や日本書紀への興味が中途半端でした。ただ、4~5年前のTOLANDのサムさんの語り口なんて新しい落語みたいで革命的だと思ったし、読みかけた手塚治虫の"火の鳥"の題材でもあるし、現行の政治情勢とか踏まえるとちょっと理解したくなる事情が重なった"いま"なら構造的に理解できるのではと思ったんですね。

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神話って何なのでしょう。ある一つの"神話"を指すのなら、話もまとまりやすいのですが、記紀やおとぎ話を含めると無数に存在している。その複雑さが問題でもあります。(一人の神の名前が他の神話では別の呼び名に代わっていたりとか....収拾がつかない印象ですね。)
なぜひとは神話に立ち返るのか。考えてみると、現代を生きるものにとっての根拠ですね。起点や前提と言い換えることも可能です。権力であったり、漠然とした自信であったり。デザインに関心があるので、切り口としては無文字社会から文字社会への移行期に造られているという神話の編集時期について着目すると良いのかなと思っています。

元々、私は"文字を持たない部族"の文化の伝承方法に関心がありました。(今まで何度も書いてきましたが)その統語法さえも脳が操作して記憶しやすい思考を思考するらしいというのは、衝撃的でした。これは、口頭伝承が文化を受け継ぐ手段となる社会の特徴です。

つまり、物語として記憶しやすい、人に受け継ぎやすい構造や色を持っているのが神話です。多少の誇張や脚色、省略や変換、改竄もあるでしょう。ただし、端的に言えば何らかの事実を支持している。

古今東西、地方豪族などが持つ物語は誰に強要されるわけもなく、率先して口頭で語られてきたのが、ある時、統一国家という一大構想のためにそれらを束ねるグランドデザインとしての神話が必要になりました。

この"ある時"というのは、明確なトップを持たない地方豪族主体の水平組織から、大陸由来の王権思想、すなわち垂直構造を取り入れる事になった時期のこと。統治の仕組みとして、水平の中に垂直を持ち込む。当時の東アジア地域で起こった権力争いの中の倭(後の日本)を想像すると、なぜ神話の編集が必要だったかという理解を助けます。

理解のために多少正確性を欠くとしても、日本、朝鮮、中国という三つの集合体の外交関係に見立てるのが効果的です。当時、社会を発展させる上で重要な資源は鉄でしたから、日本は資源確保の視点をもって、安保条約の様な関係性を結ぶ契機だったとも考えられます。

天孫降臨や天岩戸伝説、白村江の戦いなど、変化のためのイベント(ターニングポイント)として捉えれば良いですね。

本書の主題で、アマテラスよりもタカミムスヒという神の方が日本創世神話にとって実は重要な存在なのに、なぜかアマテラスがクローズアップされて、肝心のタカミムスヒは隠されているという事実が展開されるのですが、それはなぜなのか。という流れがあります。すなわち、古来より国家を巡る権力構造の実態が万人にとって目に見えて分かる形になっていないのだなという実感が湧きます。