文化が及ぼす影響 | Struo-break

自分の頭で考える上で、"個人的な経験"って価値のあるものです。外国人とチャットワークでやり取りしたり、一緒に飲んだりする機会がこの数年はありました。「進撃の巨人」が好きだというバドホンはバングラデシュ出身で、日本語も上手いのですが広告運用の仕事をしています。彼の口から聞いたことで、興味深かったのは、日本語が遠回りして要求を伝える構造になっているというのがベンガル語に似ているという事でした。多言語習得に関心があるので、貴重な情報だったと思います。

その事をずっと記憶していて、{岩波新書「論理的思考とは何か」渡邊雅子著}を読んで、説得の方法とか小論文の構造が各国独自の文化に色濃く影響受けるということを知りました。
アメリカの応用言語学者のカプランという人が、各国の学生の小論文の型における違いをモチーフに、図的に考えるとどのような差異があるかというのを研究しました。結論から言えば、文化によって"正解"が違うのです。これはその国の言語が持つ構造に由来しています。となると、国ごとによる創世神話の構造の違いにも関わりがあるという考えが沸いてきます。

また、言語以外にも社会の統治の仕組みとか歴史的な背景とか、地域性があるのです。英語・アングロサクソン、セム語、東洋、ロマンス語、ロシア語と区分されているのですが、どれも図的に違う。アメリカ人のカプランはロシア語圏の学生の持つ型が最も解釈が困難だったとのこと。
私は原因と結果をより意識して話すのが正解なのかなという風に思っていたのですが、それはアメリカ型の話法らしいのです。東洋は"渦巻のように主題から遠いところから始めて間接的に主題に近づいていく展開"と表現されています。つまり、それが劣っているとか機能的ではないという事ではなく、場所や状況や文脈によって、求められる"正解"が違うという事ですね。こういった指摘は覚えがありません。文化があらゆるものに影響を及ぼしているという事や、論理の構造には型があるという事に触れる機会はあったのですが、"個人的な経験"による推論の積み重ねが大事だなと改めて思います。