ニューロンの発火クラスター | Struo-break

about usで、"書く事"は身体性を獲得するインターフェイスだと主張したのだが、自分は何かを経験することは本質的に"膜作り"を行う事だと思ってきた。押し寄せる膨大な情報から身を護りながら自分の考え方を維持し成長させるためには、この膜を持って情報と対峙する必要があると言いたい。そこで必要になるメンタル・モデルとして、脳内のニューロンの発火現象をイメージすると、非常に助けになる。理解するという事を、また、万物照応の機会を別の方法で言い換えていると言っても良い。以下、茂木健一郎さんのクオリア入門を参考にする。

ほんの少し前に感染症の流行は確かにあった。その中で"クラスター"という現象は実感としてあったと思う。目には見えない微粒子が、密閉空間を行き交っていたが故に集団的な感染をもたらす様な事態だった。

これと似た様に、人間が諸感覚をもって対象を知覚する時、脳内で起きる神経系統のはたらきは「ニューロンの発火現象」として説明される。「理解のモデル」と言ってしまえば穏やかな解釈だが、ニューロンの発火というからには、もう少し劇的な事態を想定する。
ニューロンは神経細胞であり、"発火"というと燃えている現象を意味する。それがクラスターを起こす。すなわち、電流が走った様だ、衝撃的に感じられた、運命を感じた、怒りを覚えた、懐かしさを覚えた、因果を感じたとか、そんな風に例えられる事態だ。発火が周りに伝染していく。また、それが細胞間で神経系統を伝って一気に拡がっていく。言ってみれば、身体の各器官には、外的な世界を内面に写し取るためのセンサーの様な役割がある。

この時、身体をインターフェイスとして意識の中で起きる事。それは対象を元に、記憶から呼び出された情報との照応であり、そのイベント自体は「重生起」と呼ばれる。何かが重なり生じ起きていく、その瞬間に、テトリスの様に自我が消える。いや、問題を始め、自己と他者の境界とか、もっと色んなものが消える。これを唯識的には「縁起」と呼ぶ。
また、呼び出された要素の一つ一つは「クオリア」と呼ばれる。認識の上でこれ以上、分割することのできない最小単位、すなわち心の中に集められた表象のことだ。心という脳の"機能"が先導する変化の契機である重生起を、イベントとして捉える視点が大事だと思う。
これは何も特別な事態だけを指すわけではない。「あ、~だ。」とか「~は、~だ。」とか主語と述語があれば事足りるレベルから、人生を変えてしまう様な特別な事件までを指す。こうした世界認識の方法の始祖はアリストテレスだが、もう少し現代に使える思考の道具にするためにカスタマイズしている。


対象を元に、記憶の場所に集められたクオリアは、コトバや画像、映像、色や形や味や匂い、感情や思い、良し悪しや好き嫌い、真偽などの情報であり、様々な具象かつ抽象の要素が層や群を成す。連鎖的に次々に立ち上がるので、一口に説明することが難しい。整理されているとも、複雑であるとも言える。情報の貯蔵のされ方、その取り出し方は人の性格の問題でもあるから、傾向はあっても、杓子定規に決まったルールがあるわけではない。
このまとまりとして認識できる情報の総体を"重畳"と呼ぶ。情報が積み重なっていることもあれば、空間に散りばめられて連鎖的な関係を持つ整理方法もあろう。関係のあるまとまりとして認識できれば良い訳だ。

対象が脳にもたらす、一連の流れはこうだ。対象を知覚し、何かが意識に立ち上がる。認知が起きる。連想が起きる。そこで立ち上がったものが「イメージ」と呼ばれる。使い古された感のある「イメージ」をより解像度を高めて説明していると言えるだろう。