無題 | Struo-stationery

1月は最後、事務ワーク中心に。今年は"数を数える"ことに注力していきます。オーダーの納期が順に迫ってくる中、やりたいこともありますが、もうすぐ2月。気が付けば音楽はクラシックしか受け付けなくなっていて、バッハ一辺倒。情報を過剰摂取の脳に推進力を与えるにはとても良いです。思考を遮る感じが全くしない。もう古典と言える"ゲーデル,エッシャー,バッハ(ダグラス・R・ホフスタッター著)"の並びには意味があるのだなと感じます。
事務はchatgptのおかげで全く違う仕事になっていて、何がわからないのか、言語化出来ればどんどん理解が深まる。恐るべしAI。完全にアシストの域を越えています。言ってしまえば複雑系の扱い方が問題だったと思うんですよね。
生身の人間的には、年末に開眼した集合と写像、つまりトポロジーへのアプローチも決して無駄ではなかった。人間として、まだ何か出来る、でも大きくやり方を変えなければいけない。といったところ。私は身体に情報を馴染ませるのに時間がかかるタイプ。ちょっと前から蛍光ペンを多用する様になったのですが、嘘みたいに使える道具で、想起する瞬間が増えました。どれほど新奇の情報に触れたとしても、"思い出す"ことが必要です。最新のツールに精通することも大事ですが、自由に使える思考や技術の底上げを図ることも意識的にやる必要があると思います。その中で、人間に秘められた感覚の中でも"数覚"を追ってます。{数覚とは何か? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)}

余談ですが、"ゲーデル,エッシャー,バッハ"は、ことばも数も貨幣も時間も、自らを物語ろうとするとそれ自身を用いざるを得ない"どうどうめぐりの道具"という考え方に触れ始めた頃の、当時では難解な書の一つでした。言い方を変えれば"自己言及性"を含む道具ですね。20年以上経ってみると、別物の書の様に感じています。これを理解するのに、本棚にあった"数学的思考の技術"という新書が役立ちました。2011年の新書ですが、著者の小島寛之さんに結構ハマっています。脳科学の池谷裕二さんもそうですが、平易な言葉遣いが巧みで、不可解の集合のセンターピンを倒すのに良いと思います。偶然にもアルゴリズム思考術(ハヤカワ文庫・ノンフィクション)の解説もされていることに気付いて妙に納得。