コンステレーション | Struo-break
福岡伸一さんの新書本「世界は分けても分からない」は、ちょっと特別な本。そう記憶していて、その語り口に神話性があったからだろうなと思い出してみた。一方で、最近アガサ・クリスティーの様な最も敬遠していた殺人ミステリーを読むことがあり、随分大きな変化なだけに、何かとミステリーの手法と重ねてみる。シャーロックホームズに登場するワトソンくんのセリフが度々引用されるのだから、推理小説の様な質感に仕立てる意図があるに違いない。
ロジェ・カイヨワは遊びを、競争、偶然、模倣、眩暈が基本要素として分類した。それらの要素が組み合わされる事によって様々な遊びが生じ、進化する。これはもはや遊びだけの分類ではない、"世界"を捉える切り口を意味するはず。強いて別の要素を挙げれば、"配置(コンステレーション)"や儀礼(ritual)がある。ここで使うのは"配置"だ。
この"配置"というのは伏線を散りばめて、あとで回収していく流れに似ている。ミステリーによくある手法と言える。「世界は分けて分からない」の前半は、もはや何の要素か分からないエピソードが、ランダムに、脳の中のレーンに流れてくる。専門的な固有名詞がパッと散りばめられる。細胞のふるまいが今その場に居合わせていると錯覚するぐらいに異様に細かく描写される。いや、グティ・センターという美術館に向かう風景の記述すら、シャーレの中身を顕微鏡で覗きながら、観察された現象を詳細に物語っているように実況しているのには、意図があると思わざるを得ない。
奇妙な違和感も含め、まるごと脳の中へ、一応は積みこんで置く。だけど、どのように展開され、反復され、生かされるべき要素なのか、途中まで、もしくは最後まで分からない。それは、ミステリーで言えば、起きる事態の「真因」を最後の最後まで隠蔽するための"死角"を作る作業に似ている。全体的には一貫して「生命の流れ」や「動的平衡」というテーマが通底している。
福岡さんは相手の認知によって解読できる世界をフラクタル状にして用意していると思う。当然だが、とりとめのない、科学者の日常と非日常のエッセイ集なはずがない。
「トリプトファン(アミノ酸の一種)が生み出す神経細胞毒・キノリン酸」
「キノリン酸を分解する必殺仕事人・酵素」
「グルタミン酸の囮(おとり)物質としてのキノリン酸と結合するレセプター」
「マップラバーとマップヘイター」
「インクラビリ(不可逆的な崩壊)という名の橋」
「ソルビン酸・微生物の代謝阻害剤」「世界一ゴージャスな美術館"ゲティセンター"の設立をゲティは知らない」
「分断された文脈・死後に暴騰するカルパッチョの絵」
「がん細胞とES細胞は紙一重」
「ランゲルハンス島・消化酵素やインシュリン工場としての膵臓の機能」
「がんの発生メカニズム・天才ポスドクの不正」
ランダムに立ち上がるようなトピックス。著者は微視と巨視の間のどのレベルの世界を切り取るかという指標として、イームズが制作した「パワーズ・オブ・テン」という映像のイメージを持ち出してくる。宇宙から人体の細胞核まで、視界のズームアウトとズームインを交互に行う作品だ。レンズの倍率10のn乗が、見えてくる世界と一対の関係を築く。これは、人間の迷える視点を分かりやすく確認することを可能にするメタファーとなる。著者は、顕微鏡をのぞき込むそのレンズの倍率の違いによって見えてくる世界が連続している保証など何処にもないという。
「そして誰もいなくなった」という小説で言えば、木製の兵隊の存在に類似している。キャストが居なくなる毎に一体ずつ削られていく存在のような、ストーリの現在地の客観的な指標として機能する。読者は、仕掛けられた顕微鏡をのぞき込む主体の様な気持ちになる。
「世界は分けても分からない」に触れた当初は、類似本の知識がなかった気がする。「免疫の意味論」をはじめ、免疫学系の本の内容の理解は、まだ先の様な気がしてた。「生物はウィルスが進化させた」や「なぜ私たちは存在するか」などを通過すると、多様な見方が出来るようになり、むしろ、福岡伸一さんの神話の様な語り口に魅せられる感覚が強くなるし、自分が影響を受けていた事を確認する。今見ると、この本には色んな要素が詰まっているし、他の名著を探すまでもない気にさせられる。